10年ぶりに地方都市へ赴任

WSKの更新は、1年半ぶりになります。
普段はWSKブログの方を最低週一回ペースで更新しており、こちらの方は暫定でデザインを変えたまま放置、というわけでして、やる気になれば本来のデザインで蘇らせたいところですが、予算が無いので放置です(笑)。

さて、1993年の鹿児島市外の中学校への転校、2003年の旧川内市内の中学校への赴任と、この2013年は何もない・・・はずだったのですが、諸般の事情にてあれよあれよと面接を受けてから採用が決まってしまい、先週退職願を出してちょうど一週間。
再び鹿児島市外へ仕事で出ます。
ちょうど10年ぶりになります。

無論、鹿児島市内からの通勤は、都心部へ茨城県水戸市から通うほどの苦痛になることが予想されますので、鹿児島市を10年ぶりに離れます。
まあ、中学校教員当時の給料は21万円余りと往時の給与袋の明細に出ておりますが、住居手当を差し引いても20万円ちょっとで、これまでで一番収入が多かったのがこの時でした。
でもって、次の職での待遇ですが、すごいです。
まず、過去最高金額での給料。
これまでの不満を一気に払拭します。
そして、充実の家賃補助。
騒音クソ女(20歳)が隣室にいて4万円の家賃を全額払っていたのが、半額で済みます。
住居は借り上げ社宅につき不詳ですが、前述のような不満が無いよう条件を言ってますので、たぶん回避できるはずです。

9月に「風立ちぬ」を観て以来、これまでの半生の歩みに絶望と反省をしてばかりだったのが、これを契機として一気に壁をぶち破った、そんな気もしています。
場所は伏せますが、どこをツーリング先で選ぶかによっておおむね予想は付くはずです。
新たな成長の場を得て、よりパワーアップせねばと思います。

2011年の終わりに当たって

今年も明日で終わります。

この1年、国内的にも個人的にも大きな出来事が起こり、変化を感じた1年でありました。

来る年に向けて、根幹を変えない形で臨みつつ、模索し続けていることに関して1つでも実現したい、そう考えています。

よいお年を。

ついに現勤務先に辞表提出

2006年6月の入社以来、5年以上勤務してきた現職を、今月末で退社することになりました。
農業の方は結局息子さんが継がれるようで、競合他社とも言うべきところのお誘いに乗ることにしました。

まだ正式内定をもらったわけではないのですが、即応態勢に入ることでスムーズに移行を進めるべく、5年も耐えに耐え抜いた揚句、やっと出せました。
残された期間で引き継ぎをしっかりと行い、新たなことに挑戦しようと思います。

ちょっととんでもないことになってきた

宅建の勉強に猛スパートの中、去年面接に伺い、その後も不定期に顔を合わせる企業の社長から先日連絡を受け、現職自営化兼業の上で農業転向の方向で進める方針の中、とりあえずお会いすることにし、昨日会食しました。実に東日本大震災発生の数日後以来半年ぶりでした。

間が結構空いたことから、半分不信感を抱きながらでしたが、せっかくの機会ということでいろいろと話をしたのですが、どうやら先方はヘッドハントであったようで、とうとう採用するという話になりました。

私の方でも、4週間ほど前であれば即答でお受けできたものの、一旦家族会議で方向性が決まったものを破棄するわけにもいきません。
収入18~30万円の農業か、給与25万円のWeb職かとなれば後者の方も良いのですが、兼業については社員という身分ではそのままではできません。
先方にそういう事情を話したところ、出資してでもという話になり、よほどの展開になっています。

採用されるされない関係なく、会食の内容からどちらにせよ協力はするつもりでしたので、一旦引き取り、また来週先方へ伺うことにしています。
何か色々とあり過ぎて、大転換の渦中にありますが、先方と農業をうまく両立させる方向にて話をまとめられるかどうかになりそうです。

主宰、農家に転向か

今日、帰宅するなり、父から大家でもあり長い付き合いの取引先でもある人から電話してくれと頼まれた、との話で、想定される内容についてある程度話を聞きました。

どうやら、後継ぎの息子さんが鹿児島に帰る予定がなく、代わりにやってくれる人を探していたところ、私の存在が浮かび、聞いてみようかということになったようです。
なお、ここで具体的にその商品名を書けませんが、鹿児島在住の方なら、かなりの人が口にしている可能性が高いもの、とだけ書いておきます。

今月は延命中とは言え、いつ会社を去るか分からない身、2時半起きの正午前後終了という仕事ながら、収入は増えると聞けば、農業に関心がある自分にとっては格好の仕事です。
自習室計画も並行で出来ますし、この先の不安も若干解放されます。

父と相談の上、実際にやるかどうか決したいと思います。